「おもてなし」するより「おもてなし」されたい日本人

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皆さんこんにちは!

2013年の流行語大賞に選ばれた「おもてなし」。滝川クリステルが東京招致活動の最終プレゼンで用いたこの言葉に、多くの日本人は、日本流のおもてなしの心を世界に誇りに思ったのではないだろうか。

確かに、日本に行くとその独特の接客サービスに驚かされる。例えばアメリカのコンビニと日本のコンビニの接客態度を比較すると天と地の差だ。全く待たされていないに「お待たせいたしました」と言われる日本と、さんざん待たされたのに一言もないアメリカ。

「もてなし」とは「接客」のこと?

しかし、それはあくまでも商業的な「接客技術」でのこと。個人としての日本人は、どうだろうか。果たして他の国の人よりもおもてなしが特別上手かと聞かれると、欧米人のように人を家に招いてもてなす習慣がない日本では、はっきりいってそれほどでもないというべきではないだろうか。自分を見ても、周りのアメリカ人と比較して明らかに「おもてなし」心で劣っていると思う。外国に住んでいても人を家に招くことには積極的にはなれない。人をもてなすことについて、そういう引っ込み思案で消極的になのが典型的な日本人ではないだろうか。

むしろ、日本の過剰な接客サービスに慣れすぎている日本人は、世界で一番の「おもてなしされる」心を持っているのではないかと思うことがある。電話で何分間待たされたら腹を立てて電話を切るかという国際比較を見たことがあるが、たしか日本人が一番短かったはずだ。以前、日系航空会社の機内で、お客様は神様といういわんばかりの態度で酒に酔ってむちゃくちゃな要求をしている日本人のオヤジ客を見たこともある。

日本の接客サービスは日本人をダメにする?

日本が世界に誇るべき素晴らしい接客サービスは、逆に日本人を甘やかし、忍耐力を削いでいるのではないか。日本から出たい(もちろん出る必要はないが)という気持ちを削いでいるのではないか。すなわち、「おもてなし」に共感する気持ちは、自分が外国人を含む他人にそれを実践することに共感するというよりも、そのおもてなしを「日本人として」、「日本で」ずっと受けていていたいという内向きなものではないかと思ったのだった。

それでは今回はこの辺で!

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