ハイコンテクスト社会とローコンテクト社会で求められるコミュニケーションの質の違いについて

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皆さん、こんにちは!

私は、過去十数年に亘り、毎月のよう
に日米を往復してきました。

今回は、そんな生活で経験した、日米
のコミニュケーションの「質」の違い
についてシェアしたいと思います。

日本では来客・外出の嵐、アメリカでは来客・外出ゼロ

私は、毎月、大体1週間ぐらいの割合で
東京オフィスにいます。

東京では毎日のように来客があります。
1日に3組という日もざらだし、外出も
多いです。

一方、フィラデルフィアオフィスには
来客はほとんどありません。外出もあ
りません。現地の顧客との打ち合わせ
はほとんどが電話会議です。

何故このような違いがあるのでしょうか?

それは、日本はハイコンテクスト社会で、
米国はローコンテクスト社会であるから
なのだと思います。

ハイテクスト文化だからこそ、面談が必要な日本社会

日本は、ハイコンテクスト社会である
と言われます。

ハイコンテクスト社会とは、コンテク
ストの共有性が高くコミュニケーショ
ンが乏しくてもなんとなく分かり
合えるという社会を言います。

日本は、周りの人達が略皆日本人で、
皆、義務教育の中で殆ど同じ検定済教
科書を使った教育を受けてきています。

見る番組、食事等を含め、略同じ生活
スタイルで毎日を生きています。

だから、日本人同士は、初対面でも、
少し話すだけでどういう人生を生きて
きた人かすぐに分かってしまいます。

そんなハイコンテクスト社会では、わ
ざわざ会わなくてもお互い分かり合え
るはずです。しかし、実は、ハイコン
テクスト文化だからこそ、逆に細かい
ところまで気を使わなくてはならず、
対面での打ち合わせが求められるの
です。

ハイコンテクストであるがゆえに、相
手に深いところの理解、100%の理
解を求めるのです。

そのために、本来不必要であると思わ
れるようなことについても細かいコミ
ュニケーションをしなければならない
のです。

言い換えれば、ディープな相互理解が
求められる社会であるということがで
きます。

ローコンテクスト文化は、そもそも相互理解の度合いが低いことが前提

一方、ローコンテクストな社会では、
そもそも不特定の相手とは深く分かり
合えないことを前提にしています。

移民国家のアメリカでは、それぞれの
バックグラウンドが違い過ぎるので、
相手の理解不足を指摘していたらきり
がありません。

さらに言葉が全く違うのですから、な
おさらです。

この前提を自ら理解しているので、ロ
ーコンテクスト社会では、相手に対す
る許容度が広くなり、最低限のコミュ
ニケーションでも問題が生じにくいの
です。

そもそも、アメリカ人(といってもど
っからかの移民だろうけども)顧客と
の打ち合わせでも、お互い、相手が言
っていることの理解度は80%程度だ
と思います。

電話だとさらに、理解度は下がって、
60%が関の山でしょう。

同じ英語を話す人同士でも、同じ環境
で育っていなければ、同じです。

だからこそ、誤解を避けるため、行間
を読ませるようなコミュニケーション
ではなく、ストレートな物言いが求め
られるのです。

欧米では文書によるコミニュケーショ
ンが好まれるのも、誤解を避けるため
であると思います。

ローコンテクスト社会では異質なコミュニケーション力が求められる

グローバル社会では、ローコンテクス
トが前提です。

日本でも、会話の中に1人でも外国人が
居て、英語で話さなければならない状況
になれば、それはグローバル社会とな
ります。

最低限のコミュニケーションで、必要
なことをどのように伝えるかが重要に
なります。

そのため、グローバル社会ではハイコ
ンテクスト文化よりも高いコミュニケ
ーション力が必要となるという人がい
ます。

しかし、上記したように、ハイコンテ
クスト文化こそ、むしろ細かいところ
まで気を配るといったことが必要であ
り、その意味ではより高いコミュケ―
ション力が求めれるのではないでしょ
うか。

私は「高い」、「低い」というよりも
両者では全く異質のコミュニケーショ
ンが必要なだけなのだと思います。

すなわち、必要なのは日本のようなハ
イコンテクスト社会と、アメリカのよ
うなローコンテクスト社会の違いを分
かって、適宜コミニュケーション方法
をスイッチできる能力なのであって、
レベルを高く事ではないのです。

グローバル人材とは

日本では、最近、「グローバル人材」
の育成が重要であると言われますが、
私は、ハイコンテクストとローコン
テクストの切替えを上手くでき人材
がグローバル人材なのだと思います。

決して「英語を話すことができる人
材」の意味ではありません。また、
単に世界情勢に詳しい人という意味
でもありません。

アメリカは、移民社会が基本となり
ますから、家では、ローカルに、自
分の国の言葉で家族とコミュニケー
ションを取るハイコンテクスト社会、
学校は多民族が混在するグローバルな
ローコンテクスト社会という環境で
皆育ってきています。

なので、自然と、ローカルとグロー
バルという2つの社会でのコミニュ
ケーション方法を切り替える能力
が身に付くのだと思います。

自分がグローバル人材になる必要があ
るのかはさておき、自分たちの子ども
の世代には、このようなグローバルコ
ミュニケーション力を身に着けてほしい
ですよね。

日本人がグローバル人材になるには海外に行くしかない

別に海外に出かけなくても、周りに
そういグローバルなローコンテクスト
社会があれば問題ないのですが、実際
のところ、日本では無理です。

少なくとも一時期、海外に身を置くと
いう環境を作り出すことが重要だと
思います。

頭で理解することよりも、ローコンテ
クスト社会で、自分の言いたいことが
全く伝わらないという経験をすること
です。

これは、若ければ若い程良いのでない
かとに個人的に思っています。

いかがでしょうか?

それでは今回はこの辺で失礼します。

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