技術者・発明者にやる気を起こさせるのは特許法35条ではない

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 10年前、スペインのマドリッドで行われたAIJA(International Young Lawyers
Association)の年次総会に呼ばれて、中村修二教授の判決を受けての特許法職務発明関連規定の改正についての講演を行った。AIJAの年次総会
は、分野毎にセッションを開催する形式で、いつもは知財法分野のセッションは知財法委員会だけで開催するのだが、そのときのセッションは、労働法委員会と
知財法委員会との共同開催であった。AIJAによると、労働法と知財法は今まで接点がなかったので、そのときが初めての共同セッションということであっ
た。

 その時、他の国の参加者とディスカッションして気づいたのは、職務発明の対価の問題は、発明の評価という特許法の問題というよりも、単純労働法問題なのだということだ。

 すなわち、発明者はその時々で労働時間やこれまでの挙げた成果に見合う十分な給与や評価が与えられていれば本当は十分満足なのであって、その発明がその後どれぐらいの価値を生むかは関係ないはずだし、後で価値の取り分を貰いたいとは考えない。

 ちょっと前の日本では家族的終身雇用制度が労働や発明のインセンティブを与える役割を果たしていた。要するに、死ぬまで会社が面倒を見てくれるという保証が、労働者のその企業への忠誠心や働く動機であり、それで十分であった。

 しかし、大会社でも簡単に倒産する時代が訪れ、終身雇用制度や年功序列に対する信頼性が崩れ始めた。新興国の興隆を含むグローバルな経済環境の変化の中で、日本の会社にもグローバルな労働評価システムの導入が迫られるようになった。

 その過程で、色々な意味で会社の忠誠心が薄れ、成果に見合う報酬や評価を与えられないことでフラストレーションが溜まって来た日本の優秀な技術者の中に中村先生もいたのだと思う。

 
中村先生の利益を守るために、優秀な弁護士が雇われ、その弁護士が発見したのが、塩漬けになっていた特許法35条だったのだと思う。特許法35条は日本特有の規定であり、労働流動性が極めて低い終身雇用制度下で立場の弱かった発明者を保護する制度であり、職務発明について発明者に対して相当の対価を支払わなければならないと定めているものであった。そして、その当時、特許法35条は、相当の対価とは、「使用者等が受けるべき利益の額及びその発明がされるについて使用者等が貢献した程度を考慮して定めなければな
らい」と規定していたが、多くの大企業では利益の額など全く考慮せず数万円の金一封を払う程度ですませていた。終身雇用制度の上にあぐらをかいてい
たのだと思う。その優秀な弁護士は、この特許法35条をツールとして、中村先生の利益の回復を図かる訴訟を起こし、勝利したのだった。

 
要するに中村先生の訴訟では特許法35条はツールにすぎなかった。単純に200億とか600億が中村教授の報酬として妥当かと批判している一般ブログ等や記事を見かけるが、特許法35条を使って計算した場合にこの35条に規定されている「相当の対価」がその金額になったというだけで、一般的な給与とか報酬とかと
は別に考えなければならないと思う。アメリカ企業との一般的な比較も妥当ではない。とにかく、この特許法35条は日本にしかない特殊な規定だったからだ。

 その後、そのツールを使えば、誰であっても、訴訟を起こせば絶対に企業に勝てるという状態となり、もはや企業に忠誠心を誓う必要のない退職者を中心に訴訟が相次ぎ、危機を抱いた企業や関係者が政府に働きかけ特許法35条は改正されるに至った。

 しかし、勝訴を積み上げても、また、特許法35条をいくら改正しても実情は何も変わらない。問題は特許制度にあるのではなく、終身雇用への信頼性が崩れた後もなお流動性の低い日本の労働システムにあるからだ。だから、いくら特許法を改正したとしても、ポスト終身雇用・年功序列後の労働ステムが根本的に改革されない限りは何も変わらないのだ。

 その結果、中村先生をはじめ優秀な技術者の方々が日本を出て行ったし、これからもそういう方が増えるだろう。日本人には、英語の壁さえなければ、世界に通用する技術力を持っている方が多い。

 巨額対価の話ばかりが先行するが、優秀な技術者がほしいのはそんな浮いたようなお金ではなく、日常の評価やその評価に見合った現在の報酬やインセンティブだ。そして、それは個々の人によって全く異なるものであり、特許法35条という法律で一括的に規定できるようなものでないと思う。

 特許法35条の改正はもちろん重要だが、これ問題の後ろにはそれよりももっと大きい「改正」しなければならない問題が控えていることを忘れてはならないと思う。

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