縄跳び挑戦記1 in USA (パート1) 

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

私が縄跳びを始めたのは40才半ば、そして、スポーツ大国・アメリカで縄跳びの全国大会に挑戦する!そう決めたのは、縄跳びを初めて2年半が経過した、昨年の夏でした。

その後、今年の夏、ようやくJUMP ROPE USA National Championships 2015(全米縄跳び選手権大会)に出場し、30歳以上の部門で、個人総合3位(銅メダル)を取ることができました(最初の写真はスピード競技の表彰式、2つ目の写真は会場の様子)。

私の縄跳び挑戦はまだまだ続くと思いますが、良い機会だと思いましたので、備忘録的にその挑戦経験を記録しておきたいと思います。

1.縄跳びを始めたきっかけ

私ぐらいの年齢、40才後半~50才前半の時期は、人生の中でも、突然思いもしなかったことを始め、それにより、自分の人生に対する価値観が大きく変わる時期ではないでしょうか。20代から40代半ばまでは自分の将来キャリアにしか関心がなかったのが、理由も知らず趣味とかスポーツに目覚め、新しい趣味やスポーツを始めたり、昔やっていたスポーツを再び始めたりすると、夢中になってしまい、それが、自分の人生価値観に大きな影響を及ぼすのです。特にスポーツは、仕事とのバランスがいいのか、仕事での頭や心のストレスがスポーツでの体のストレスによって打ち消されるだけでなく、さらに仕事を含む人生を新たな境地へ押し上げるという相乗効果を生むのではないかと思っています。特に、人生を高速で突っ走って来た起業家や専門家、入社以来一つの会社で頑張って来たサラリーマンに、この傾向が顕著にみられるような気がします。

弁理士登録15年を超えた30代後半ぐらいから、私も何か新しいことを始めたいとずっと思っていました。まず、スポーツで考えた場合、ゴルフとか、テニス、釣り、マラソン、トライアスロン、水泳等が思いつきました。趣味の場合、ハーモニカやギター等の音楽も考えました。いずれにしても、仕事も、1月に1度日米を往復するパターンで、出張や残業が多く忙しい身ですから、何かするのであれば、ジムが無いようなホテルでも、雨の日でも、自宅でもどこでも1人で練習でき、他人のスケジュールに左右されないような個人できるスポーツや趣味が良いと思っていました。音楽は音が出るので練習場所が制限されるし、水泳やテニス・ゴルフ等は特定の場所でないと練習できない。マラソンは雨の日や雪の日にはできない等、なかなか1つのことにコミットできない状況でした。

そんな中、ある日、Youtubeで、ある縄跳びのパフォーマンスを観る機会があり、カッコいい、やってみたい!と思ったのです。もちろん、同様に考えて挑戦したのは縄跳びだけでなく、他にも色々あり、それらは結局続かなかったのですが、縄跳びは、私の日米往復の生活パターンに合ったのか、継続的にやるようになったのでした。

2.日本の大会に出るまで

私が観てたYoutubeビデオには、日本やアメリカの大会での演技を撮影したものが多くありました。例えば、下のようなものです。これは、2010年の全米大会のものです。

ビデオを見るとわかりますが、非常にレベルが高いものです。ですから、大会があるとは知ってましたが、自分が出れるとは、当初は考えませんでした。そのころは、そもそも、縄跳びにいろいろな種目があることも知りませんでした。

何と言っても、最初は、数を数えながら普通の前跳び50回~100回がやっと。30秒もやれば息が上がる状態。ボクシングの選手のように格好良く跳んでみたい思うのですが、周りにやっている人もおらず、やり方が分からなかったので、Youtubeを見ながらの見よう見まねでできる限り長く跳ぶことだけを目指している状態でした。

転機になったのは、日本の大会に出たことでした。

といっても、30秒、3分、二重跳び等の規定種目も一度もやったことのない状態で、ぶっつけ本番、フリースタイルはビデオを見てみよよう見まねという状態でした。アメリカと日本との間を毎月行き来する間での参加でした。ドキドキしながら、会場に向かったことを覚えています。会場に着いてみると、多くの参加者がウォームアップを兼ねて練習をしていました。それが、初めて「生」で「本ものの縄跳び」を見た瞬間でした。

実は、アメリカでも縄跳びチームはどこにでもあるというものではなく、フィラデルフィア市近郊やニューヨーク近郊にはありません。したがって、アメリカでも生で見る機会はなかったのです。

練習をしている人たちを見てまず気づいたのは、縄跳びのロープが、私が使っていたものとは全然違う物だったということです。自分のしょぼいロープをカバンから取り出すのが恥ずかしかったことを覚えています。まず、スピード競技を何とか終えました。特に、3分間で何回跳べるかを競う「3分スピード」は、最初は勢いよく飛び始めたのはいいのですが、30秒で手が棒のようになってしまい、死ぬ思いで終えました。

そして、最後のフリースタイルになりました。フリースタイルとは、与えられた1分~1分15秒の間に、できるだけたくさんの技を、音楽に合わせて創作的に表現する、ようするに、演技です。想像していたよりもかなり広いステージ、その前方には何人いるかも数えられないほどのジャッジの方々座っておられます。そして、小学生から順番に見たこともないような高度な演技が目の前で繰り広げられていきます。

実は、私が出た大会は、日本ロープスキッピング連盟(JRSF)の全日本選手権、私のような者がいきなり参加してはいけないレベルの大会だったのです。自分の順番が近づくにつれて、あまりの場違い感に、マジですか~、という状態でした。アメリカで日本人としては誰も経験したこと色々なことを経験してきましたが、それに匹敵する、予想外の状況。何とか終えましたが、何をどうしたか記憶がありませんでしたが、よく、こんなことに挑戦したなと思ったのでした。もちろん、主催者の方も素人のおじさんの参加は予想していなかったことと思います。

大会が終了し、北千住の駅に戻ってきて天丼を食べたとき、一息ついて、とりあえず、自分を褒めてやりたい気持になったことを覚えています。(下の写真は1回目の大会ではなく、2回目の全日本選手権大会の時に撮ったものです)

とにかく、この最初の大会出場で、ぶっつけ本番だったんですけど、色々なことを体得できした。他人の演技を生で見れたこと、実際にやってみた経験、道具、種目がなんであるのかの知識、そして何よりも、まずは日本人の縄跳びコミュニティーにつながることができたのでした。

3.アメリカの大会を調べ始める

その後、アメリカに戻って、アメリカの大会のことを調べ始めました。そして、アメリカの大会は、日本の大会よりも10倍ぐらい大きいことを知りました。しかし、出場方法がどこにも書かれていません。日本の大会と違って、どこかのチームに属していないと出場できず、出場方法は、それらのチームに属していないと分からない状況だったのです。ところが、近くにチームは無く、どうしようかと壁にぶつかったのでした。

(パート2に続きます)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする