「JASRAC-音楽教室」事件から、音楽教室以外の民間個人レッスン、グループレッスンの適法性を考えてみました。

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皆さん、こんにちは!

教育ビジネス市場が拡大する中、「音楽教育
を守る会」とJASRACの、音楽教室における
「上演権」をめぐる争いの行方が注目されて
いました。

そんな中、音楽教育を守る会は、予告どおり
JASRACを6月20日付けで東京地裁に提
訴しました。

JASRACの音楽教室からの演奏著作権料徴収の動きに対抗し、音楽教育の現場や音楽文化を守るために活動している、音楽教育事業を営む企業・団体による組織です。個人事業者も今後影響を受ける場合があるため、その代表として指導者の協会も参加しています。

私がこの問題を気にするのは、音楽教育以外
の分野の民間教室、すなわち、個人レッスン
・グループレッスンにおいても、同様の問題
が生じる可能性がある(少なくともそう考え
る人たちがいると思われる)からです。

以下、音楽教育以外の民間の個人レッスン・
グループレッスン、特に趣味の教室(折紙教
室や料理教室、裁縫教室等)を例に考えてみ
たいと思います。

音楽の分野以外の個人レッスンやグループレッスンでも、レッスン内で実演を伴う場合がある

私は、米国で折紙教室を中核としたTaro’s
Origami Studioを主宰していますが、
折紙教育においても、特定の著者が考案した
折紙作品の折り方を掲載した本をテキストと
して用い、教える過程においてその折り方を
見せたりします。

Taro's Origami Studios The Best Way to Experience Origami We offer Guided Origami Experiences, Drop-in Lessons, Beginner Classes, and Private Lessons at our S...

折紙教室以外でも、調理教室や裁縫教室等に
おいても、テキストとして用いる料理本等に
記載された調理方法等を実演することにより
生徒の指導を行っていると思います。

このような実演が、音楽との上演や演奏と同
じように捉えられる可能性はないのでしょう
か?

また、上演権・演奏権以外の他の著作権を侵
害する可能性は無いのでしょうか?

音楽以外の分野には、JASRACのような
強力な著作権管理団体は存在していませんが、
例えばテキストの著者等から著作権侵害であ
るとのクレームを受ける場合があるかしれま
せん。

「上演・演奏権」は、実施上、音楽と演劇(落語・講談・漫才含む)に限られる

しかし、今回の訴訟で問題になっている「上
演」「演奏権」(著作権法22条)は、基本的
にそれぞれ演劇(落語・講談・漫才含む)と
音楽に限られます(著作権法2条)。

したがって、テキストに書いてある通りの折
り方や作り方どおりに生徒の前で折り紙や料
理を製作しても「上演権」や「演奏権」を侵
害することはありません。

ただ、上演権・演奏権を侵害しないとしても、
例えばテキストを声に出して読む行為が「口
述権」の侵害、また、作成した作品を生徒に
見せる行為が「展示権」の侵害に当たると指
摘される可能性が考えられます。

しかし、常にテキストの口述を前提とするよ
うな個人レッスンというものは、それこそ、
口述そのもののレッスンや朗読そのもののレ
ッスン(例えば詩の朗読のレッスン等?)以
外に考えられないと思われます。

また、「展示権」は、一品製作品たる著者の
作品を展示する場合には問題になりますが、
先生や生徒が折ったり作ったり作品であれば、
問題になりません。

著作権法の目的を達成するには著作者だけではなく、音楽教室等による演奏家の育成も重要では?

今回の訴訟の訴状を読んでみましたが、
確かに、音楽という文化を発展させるには、
著作権者の保護だけでなく、当該音楽を演奏
する演奏家の育成も重要であるという主張は
納得できます。

そういった演奏家の育成は学校教育では足ら
ず、ヤマハを初めとした民間の個人レッスン
やグループレッスン等のいわゆる「社会教育
」が大きな役割を果たしているとする点も納
得できます。

著作権法は、公正な利用であるかに応じて柔軟に適用されるべきもの

そもそも著作権というものは、同じ知的財産
権であっても産業財産権に分類される特許権
や商標権とは明確に区別されています。

後者は産業の発達を目的として独占排他権を
付与するもので、権利の効力が強力であるが
故に、特許庁での厳格な審査を経て付与され
ます。

たとえ、自分が考えた発明でも、特許出願を
行わなかったり、行っても特許の価値が無い
として拒絶されたものは、その発明を独占す
ることができないのです。

さらに、特許権は維持するにもお金がかかり
ます。

また、何年にもわたって特許権を維持してき
たのに、他人が提起した無効審判により無効
と判断されて最初からなかったものとされる
こともあります。

また、特許権を持たないものが特許権者であ
ると言えば、それは虚偽表示の罪に問われる
ことになります。

これに対して著作権は、産業の発達ではなく、
文化の発展を目的とするものであり、特許等と
違って審査や登録も必要なく、その維持のため
に費用が掛かることはありません。

また、著作権を保有しないものが著作権者で
あると表現してもそれを罰する規定はありま
せん。

このようにそもそも登録制度もなく、範囲も
不明確であるのかどうかもわからない「著作
権」を、特許権と同じように行使できるとす
れば、混乱が生じることは明らかなのです。

アメリカの著作権法には、フェアユースの一
般規定があり、所定の条件に照らして「公正
な利用」とされる著作物の利用については、
一般的に著作権侵害に当たらないとされます。

また、多くの国において、公正利用はそもそ
も権利侵害に当たらない旨の規定があったり、
規定がなくてもそのような運用がされています。

日本にはフェアユースの規定がありませんが、
明らかに公正であると思われる利用に対しては、
一般的に権利行使対象外とするべき、と個人的
に思います。

著作権保護意識が高いあまり、却って著作権
法の目的とする文化の発展を妨げるようなこ
とがないように、今回の事件はある意味で今
後のガイドとなりますので、当事者の方々は
是非最後まで争って裁判所を判断を得て頂き
たいと思います。

今回は、この辺で!

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