STAP細胞騒動と日本の「ムラ社会」について(3) ——–「意図しないミスに対する救済」の日米における解釈の差について———

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 小保方事件において小保方さんが主張したかったのは、画像の入れ替え等は、要するに「意図しないミス」だったということだと思います。そして、その救済がされるかということについて、理研は「故意」=「悪意」と判定して、それは単なるミスではないと、悪意があったと判断したものだと思います。社会の大勢もおおむねこれに同意しているように見えます。

 私の弁理士という職業において、「意図しないミスに対する救済」とは、特許出願手続の中で、いわゆる「ミス」が生じた場合に、特許庁により当事者に与えられる一定の救済措置を指します。

 そういう状況は生じなければ良いに決まってますが、しょせんは人間がとる手続なわけで、完璧なわけはないということで、国際条約でそのような制度が規定され、それに基づいて各国は制度を整えているわけです。

 しかし、それがどのように適用されるか、すなわち、どのような場合に救済されるかや、どのような書類を用意しなければならないかについては、国よって大きな違いがあります。

 その内容は、それぞれの国が、それぞれの文化の中で「意図しない」をどのように解釈するかに大きく依存すると私は感じています。

 私は、日本と米国の資格を保有し、両国の特許庁に対し、その救済手続を請求したことがありますが、日本と米国は、その適用において、世界で最も厳しい国と、最も簡単な国という、両極端に異なる国であると思います。

 「意図しないミス」というのはUnintetionalなミスということで、Unintentionalとは、intentionalでないということ、すなわち、「故意」でないということになります。

 米国の場合、単に当事者が、「意図しないミスであった」ことを宣誓して追加料金を払えばそれで、手続は救済され権利回復がされます。「宣誓」という行為と、追加料金で、ミスをしていない人との公平が図られているという観点です。非常にあっさりしています。これにより救われた日本企業も多いはずです。これに対して、不都合のある第三者がいれば、個々の特定事件の中で争えばいいという態度です。特許は独占排他権という強力な効力を持つ権利ですが、ほとんどの場合、そういう問題が起きることはないと思います。

 これに対して、日本の場合には、「意図しないミス」であることを詳細に証明する説明書と証明書類を出さなければなりません。具体的な証明方法は、普段どれほどキチンとやっていたかということを業務マニュアルの存在や管理体制を示して証明したあと、そのミスがそのようなキチンとした状況のもので起きた理由(停電や急病)とそれを防げなかった理由を説明しなければなりません。

 日本ではその申請を、特許庁の専門官がおそらく社会の中で救済が許容されるべきミスであるかを目を光らせて審査するわけです。

 繰り返しますが、この救済手続きについて、私は、米国が世界で最も簡単な国であり、日本は最も難しい国であると思っています。

 日本の場合、「意図しない」といっても、結局最後は停電とか、急病であることが要求されることになってます。停電といってもその家だけでなく、起こるはずのない大規模停電、それも計画停電は入らないとか、そんなことまで要求されると手続指針には書いてあります。米国の場合だったら、このような場合は、Unintentionalではなく、Unavoidableの場合の救済が適用されると思うほどです。

 特許のミスと研究のミスを比べるのは適切ではないもしれません。

 でも、Unintentionalでない場合というのは、要するにIntentional(故意)だったということになり、今回の理研の解釈だと、故意=悪意ですから、最悪、不正行為と認定されてしまうのかなと思います。普段キチンとしてない人の場合、単なるミスだけで不正行為と判断されてしまうことになりかねません。特許の場合には業務マニュアルがずさんだというのは、研究者の場合には実験ノートが不備であるのとにています。ノートを付けてなかったら、ミスはIntentionalと認定されるわけです。

 完璧な人はいません。

 しかし、日本(日本人)は、ミスに対して、そしてそのミスを犯した個人に対して非常に厳しいという文化を持っています。これは、関係者を不要に委縮させ、また、不要なリスクにさらします。

 特許の場合でいえば、日本特許庁の厳しい態度により、日本の弁理士がどれぐらい業務上のリスクにさらされているか、、、これは声を大きくしていいたいと思います。

 確かにミスをした同業者を見た場合、ちゃんとしてないなと思うことは多々あります。しかし、重要特許なら、担当者の不注意により期限を一つ落とすだけで、その出願人企業の生死に関わり、代理人のミスならその代理人の事務所も存続の危機にたたされることになるのです。犯罪というわけでもないのに、果たして、そこまで厳しい制裁を課す必要はあるのでしょうか?

 日本人は、国民文化として社会文化として、このようにミスに厳しい側面が内在していることを認識し、ミスに対する寛容さについては意識に海外のレベルに合わせていくことが必要なのではないかと、個人的には思います。

 日本人だけがオウンドールにより勝手に損をしているという状況を何とかしなければならないと思います。

 具体的には、ミスをしないという前提で救済を考えるのではなく、誰でもミスをするということを前提にそれを救済する制度や社会の設計をするべきだと思います。敗者復活可能な社会ではなく、不要な敗者を出さない社会を実現するべきだと思う次第です。

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