グローバルスタンダードを知るにはアメリカに来るのが一番良い理由

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最近、日本で「グローバル化の必要性」が叫ばれている。

グローバル化とは、グローバルスタンダードで物事を見たり考えたりしたりできるようになるということであり、日本人のほとんどは日本のローカルスタンダードで動いていることを前提とし、物事の見方や考え方に対してパラダイムシフトを迫っているわけである。

しかし、自分自身でパラダイムシフトを「する」のは、非常に難しい。すなわち、自分自身の決意によって行う種類のものではない。カルチャーショックを受けたときのように、何かによりライフチェンジングな衝撃を受け、あるときそのことについて突然気づくことによってなされるものであるか、あるいはグローバルスタンダードが支配する職場などに転職することによって半ば無理やり物の見方や考え方を変えられることによってのみ起こる。そして、そのような衝撃は、おそらく、日本国内にいては受けることは難しい。たとえ外資系企業であっても日本にある限り日本的ローカルスタンダードが支配しているところがほとんどである。

だから、グローバルスタンダードを身に付けるには海外に出なければならないのだ。

グローバルスタンダードとは、普遍的な物の見方や考え方のことをいう。これに対してローカルスタンダードは、その地域や文化、環境に特殊・特有なものの見方や考え方である。 グローバルスタンダードとローカルスタンダードは択一のものではなく、両方を身に付けることが可能なものである。人は誰でもダブルスタンダードを持っているように、この2つのスタンダードは切り替え可能である。しかし、グローバルスタンダードはローカルスタンダードと違って特定の地域だけでなくどの文化にも普遍的に適用可能であるから、いろいろな人が集まって議論する場所や職場ではグローバルスタンダードに切り替えて物事を見たり考えたりしなければならない。できれば、いちいち切り替えることなく、いつもグローバルスタンダードで物を見たり考えたりするようにしたい。

グローバルスタンダードは単に普遍的であるというよりも、むしろ絶対的というべきである。たとえば、ある地域で生計を立てるには子供を売っても構わないというスタンダードがあったとすると、グローバルスタンダードはそのようなことは絶対に許してはいけないというものである。すなわち、グローバルスタンダードは絶対的な正義を含んでいる。絶対的な正義とは何か、果たしてそういうものがあるのか?という疑問もあると思う。しかしグローバルスタンダードがそのようなものを含なければ「普遍的」なものとして成り立たないものなのだだから、少なくともグローバルスタンダードを知るだけでも非常に有益である。

そして、グローバルスタンダードを知るには、自分のローカルな考え方が通用しない場所、すなわち、海外に出なければならないのだ。

自分はアメリカに住んで13年になる。アメリカは、いろいろな国の人の寄せ集めの「合衆国」であるから、それぞれの国の人が自分たちのローカルスタンダードを主張していては何も決まらない。だから、誰もが理解できる普遍的なスタンダードが必要であり、自然にそれが実践されている。だから、グローバルスタンダードを知るにはアメリカに来るのが一番であると思う。

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