ドラマ「半沢直樹」の100倍返しが痛快で人気を呼んでいる。
しかし、グローバルスタンダードを教える「聖書」によれば、仕返しは我々に代わって神様がしてくれると教え、我々自らが仕返しをすることを禁じている。
「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ人への手紙12:19~21)
なんと、仕返しは逆に「悪に負ける」ことであると教えているのだ。
確かに、現実に、仕返しはかえって悪にいいように利用されることが多いように思う。(ドラマ「半沢直樹」の結末でもそうだったかも)
ではどうすれば良いのか。
聖書は別の箇所で以下のようにも教えている。
「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。
また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。
偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」 (マタイの福音書7:1~5)
仕返しする側も五十歩百歩だということ。たしかに、ドラマの設定も銀行という狭い社会での論理、結局は出世競争の論理、とてもグローバルには通じない社会での勧善懲悪に過ぎないということか。
そもそも100倍の仕返しと言ったって、神様が我々に代わってしてくれることはそんな100倍とは比べようのないぐらい大きいはず。下手に100倍の仕返しをして逆に悪に負けるよりも、神様に任せて1000倍いや10000倍の祝福を受けた方がいいに決まっている。
今日も、聖書の教えに深く考えさせられるのであった。