お隣のプリンストン日本語補習校で教鞭をとっておられる作家の冷泉氏の記事「朝日「誤報」で日本が「誤解」されたという誤解」を読みました。
朝日新聞を批判する人達はいわゆる従軍慰安婦問題のせいで「国際社会に日本が誤解されている」というが、それ自体が誤解であるとというご意見ででした。確かにその通りだと思います。
一方で、日本人は果たして国際社会、すなわち「ガイジン」の目をそれほど気にしているのだろうかと思いました。
海外に行ったとき、あるいは海外にまで行かなくても隣に外国人がいる場合、その外国人の目が気になるでしょうか?
私はこのアメリカで長くビジネスをしていますが、アメリカの良いところは日本と違って人の目が気にならないことです。特にアメリカの場合、人種のるつぼですから相手の価値観もよくわからないし、周りの人がどのように自分のことを感じているかということを考えること自体ができないからということもあります。
しかし、正直いうと、未だに日本人の目だけは気になります。これは長く日本で教育を受けてきた結果だと思います。
言い換えると、日本人は人の目を気にするといいますが、実は外国人の目は気にならず、日本人の目だけが気になるというのが正解であると思います。
だとすると、誤解を解きたいと主張する人達は、国際社会、外国、といいながら、実はブーメラン効果で日本人自身の「誤解」を解きたいと思っているのではないでしょうか?
日本人は昔のことで未だに先祖が悪く言われているのが我慢できず先祖の名誉を晴らしたいという気持ちが強いのだと思いますが、外国人、特にアメリカ人は昔のことは昔のことで大事なのは今であるという考えを持っています。だから、日本人が思うような「日本に対する誤解」を外国人はしていないのです。
アメリカ憲法を見ても、過去の過ちを過ちと認めた上で何度も修正を加えています。あの時は正しかったと正当化することはせず、あの時は間違っていたという反省に立ってこれからはそれを改めようという考え方です。 だから、昔のことで今の日本人を悪く思っているアメリカ人はほとんどいない筈です。また、悪いのは指導者のみで一般市民については被害者であるという考え方が一般的です。
冷泉先生がおっしゃるように、今回のことで朝日や政府が海外に向かって何か声明を出すことは、日本の評判を下げる効果しかないと思います。どのような形であれ、過去の慰安婦問題の正当化は、強制か任意かは関係なく、日本の評判を下げることにしかつながりません。
そんなことを首相を含めた日本の指導者たちが分からないわけはないと思います。
だとすると、、「国際社会の誤解を解く」というのは方便であり、朝日新聞に外国向けの声明を出させるという逆リスクをとってまでやりたいのは、日本人自身の誤解を解くということなんだろうと思うわけです。「国際社会が誤解している」と誤解させてまで解きたい日本人自身の誤解がある、と考えているということです。
その国際社会が誤解していると主張してまで解きたい日本人自身の誤解とは何なのか、何を誤解だといいたいのか、それが、この問題の核心であるのだと思います。
安倍首相が経済や原発問題を含めて他に解決するべき緊急かつ重要な課題があるのにもかかわらずこの問題に固執するのは、この問題を解決しないと日本の発展はこれ以上望めないと考えているのかもしれません。
日本人が前に進むのに必要なのは、果たして過去を肯定することなのか、過去の過ちを認めて謝罪することなのか、安倍首相は前者の立場に立ち、朝日新聞は後者の立場に立っているのでしょう。だとすると、両者とも目指すものは同じであり、その方法において意見が異なるのみだということができます。
いずれにしても、冷泉先生の言われるとおり「国際社会の誤解」とは無関係であることだけは言えると思います。