東京都議会で女性議員が受けた、いわゆる「セクハラやじ」の問題は、やじった男性議員個人の問題もあるけど、もっと根深く、日本社会が抱えるダイバーシティの問題だと思います。
その証拠に、その後、逆に野次られた側の女性議員に対する誹謗中傷が起きたりする等の2次被害が起きてます。果たして都議会の男性議員達が心の底から申し訳ないと思っているかは疑問です。
ダイバーシティとは、多数派や権力を握る勢力、あるいは歴史的・文化的に制度化された優劣関係のもとで優位に立つ側の人々(男性の優位もこれに含む)が「異なる者、他なる者」を逸脱と捉えて吸収(同化)や排除の対象とするのではなく、双方を同じ地平に位置づけた上でその関係性を重要視することとされています。
ダイバーシティの考え方が重要なのは、国境を越えて人やモノ・金が自由に行きかう現代の社会では、多様性を認め合う集合社会が前提となり、そのような集合社会に対しては従来の民族主義や国家主義ではリーダーシップを発揮できないからです。典型的なのは移民国家であるアメリカですが、民族主義ではなく、その逆のダイバーシティの価値観に基礎をおいて、社会をまとめることが重要になっています。
しかし、最近の日本は、国家主義・自民族主義等の過去の価値観への復帰の傾向が見られ、国家や社会の利益のためにダイバーシティを犠牲にするという逆行現象が見られるような気がします。
国家主義や自民族主義の蔓延というと異民族・外国人差別と思われがちですが、今回のセクハラ・マタハラの問題も、ダイバーシティという点ではリンクしているということです。国家主義や自民族主義は、社会進出されている女性の皆さんにとっていいことはないのかもしれません。
今回は、被害者が声を上げマスコミも大きく取り上げたことで大きな問題となりました。しかし、ダイバーシティの問題を本当に解決するには、被害を受けた個人の努力はもちろんのことマスコミの力、政治家の自浄能力でこれを行うことには無理があると思います。やはり「異なる者、他なる者」が無視できない数になるまで個々の会社や組織が受け入れ続けるしかありません。先進的な経営者が率いるいくつかの日本企業はそれに気づいて積極的に行動を開始しています。
議会でいえば、まず女性議員を含むマイノリティーの数を増やすことが重要だということになります。議員を選ぶのはもちろん有権者ですから、有権者にも責任はあります。
実際のところ、より多くの組織や議会にダイバーシティが及ぶのは、今の日本の政治の流れからすると難しいのかもしれません。しかし、これから押し寄せる少子高齢化の波により、否が応でもダイバーシティを受け入れざるを得ない、そんな時が来るのはもしかしたらもうすぐかもしれません。
(参考図) ジェンダーギャップ指数ランキング:内閣府男女共同参画局ホームページより引用