パナソニックの「追い出し部屋」を考える

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 12月31日付け朝日新聞朝刊に「配属先は「追い出し部屋」〈限界にっぽん〉」の見出しで、
「赤字にあえぐパナソニックグループに、「追い出し部屋」と呼ばれる部署があります。主な仕事は他部署への「応援」。働き盛りの30~40代を含む社員たちが製品を箱詰めする単純作業などをこなしています。元の部署で「ここに君の仕事はない」などと言われた正社員たちの配属先です。

 こうした部署はここ数年、大手企業で目立つようになっています。会社側は「新たな技能を身につけてもらい、新しい担当に再配置するための部署」と言いますが、「辞めるように仕向ける狙い」と受け止める社員もいます。
 これまで安定していた大企業ですら雇用を支えられなくなり、辞めるに辞められない「社内失業者」が増えています。」という記事があった。

米国では、解雇は、従業者との間に特別な契約が無い限り、経営者の都合で自由に行うことが出来るのが普通だ。しかし、日本では、労働契約法というものがあり、それによれば、「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして無効とする」(労働契約法第16条)とされ、これに従わない整理解雇は違法となる。すなわち、単なる解雇は、違法なのだ。

このため、日本における「リストラ」は、「希望退職」という、法的には自己都合退職という形で行われることになる。社員にこの自己都合退職を迫る、パナソニックの行為を、この朝日新聞の記事は責めているのである。この記事では上記の労働契約法を持ち出さず、一般社会通念として、大企業は雇用を維持する責任があり、これを放棄する行為は許されないというメッセージを大企業と政府に送っている。もちろん、即刻解雇なんてもってのほかであり、雇用を維持するのが、個々の企業とそれを支える政府の責任というわけである。

確かにそれは正論だが、各企業に対して単独で雇用を維持することを強要するのは、どうかと思う。全ての企業が調子がいいのであれば、問題ないが、競争激しい昨今、企業間の業績には格差があり、また、同じ企業が常に業績がいいというわけでない。
雇用の調整が行えないとすれば、企業の存亡にもかかわることにもなるし、業務が減ってやることの無い社員をやとい続けることは社会生産性を下げることにもなる。雇用を流動化させて、調子の悪い企業から調子の良い企業へ雇用が流動することを担保できるようにしたほうが、良いように思う。

アメリカにおいても、雇用者は常に雇用の維持を一番に考えているのであり、従業者を解雇するのは、最終手段である。決して、無情に解雇を行っているわけではない。解雇は従業者だけでなく企業も痛みを伴う行為であり、それによって社会が鍛えられ、企業も個人も不況に強いものに育っていくものなのだと思う。果たして、誰もが痛みや試練を感じない社会を理想の社会ということができるのだろうか。疑問である。

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日本・米国弁理士/折り紙プロデューサ 矢口太郎

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