皆さん、こんにちは、
ちょっと前のことになりますが、アメリカのキム・カーダシアン氏が自身の矯正下着のブランド名として「KIMONO」を使うと発表し、商標出願中であることを明らかにしたことを発端とし、日本文化が海外に好ましくない形で広がることに懸念が広がったことがありました。
世界に誇る日本文化である「着物」の価値がカーダシアン氏の行動で損なわれたと多くの日本人が感じたのです。
これまで、日本政府は、着物のような重要な日本文化を「日本のソフトパワー」「日本ブランド」と捉え、そのソフトパワーを使って日本の価値観を海外に伝え、より大きな影響力を発揮していくことに活用しようしてきました。
しかし、上記のカーダシアン氏の件のような事態は、「着物」が海外で「KIMONO」となる際に、日本が伝えたい価値と異なる形に変換されているわけですから、日本の価値観を伝えるツールとしての価値が毀損されているということができるわけです。
この記事の目次
政府は、日本のソフトパワーをどう解釈しているのか
首相官邸の知財戦略会議は、平成21年3月に「日本ブランド戦略」という審議会報告書を出しています。
上記審議会報告書の冒頭には、以下の記載があります。
一方、今日、世界経済が金融危機に直面し、日本と世界の道行きについて不透明感が高まる中、国民や企業が、何を目指し、何を大切にすべきかが分からないまま、社会全体が萎縮し始めている。
無形の資産や国家の魅力がグローバル競争に大きな影響を及ぼすようになっている時代だからこそ、日本の強みであるソフトパワーを海外市場拡大・内需拡大の原動力にすることを、真剣に国家戦略として打ち出す必要がある。このため、日本のソフトパワーを生み出すアニメ、マンガ、映画、ドラマ、音楽、ゲーム等のコンテンツや、食、ファッション、デザインといった日本特有のブランド価値創造に関連する産業を「ソフトパワー産業」として位置付け、これら産業の振興や海外展開を総合的に推進するべきである。
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中略
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日本ブランド戦略においては、日本のソフトパワーを生み出すソフトパワー産業の潜在力を引き出し、経済成長の原動力とするため、創造・発信の両面から施策を展開する。創造面では、ソフトパワー産業を振興しクリエーターの活動の場を創出するとともに、創造を支える環境を整備する。発信面では、対外発信のターゲット・方法を明確にし、重点化することにより対外発信力を強化するとともに、訪日促進等を通じて日本ファンを世界に広げる。また、これら創造・発信の取組を官民一体となって継続的に推進し、実効性を確保するための体制を構築する。」
と記載されています。
この報告書においては、 「日本のアニメ、マンガ、ファッション等」が「ソフトパワー」若しくは「ソフトパワー」を生み出すと位置付けているわけです。
ここで、着物は「ファッション等」に分類されると思います。
この報告書から結構時間が経っていますが、国の考え方は変わっていないと思わます。
そもそもソフトパワーとはなにか
それでは、「ソフトーパワー」とは、いったい何なのでしょうか?
ソフトパワーという概念を提唱したのは、ハーバード大学大学院ケネディスクール教授のジョセフ・ナイ氏です。
ナイ氏ははその国が有する文化の価値観にグローバルな普遍性があり、それをその国が追及するような政策をとれば、他国がその国の価値観に追従し、自国が望む結果を獲得することが容易となるとしました。一方で偏った価値観に基づく文化では、ソフト・パワーが生まれにく言っています。
例えば、アメリカの生活様式というものは、広大な庭にまばゆい緑、美しい邸宅と町並みには、明らかにソフトパワーがあります。アメリカ郊外の美しい住宅地の持つソフトパワーには普遍的な価値観があり、アメリカ人が望ましいと思っているものを我々日本人にも望ましいと思わせることに成功しているのです。そして、それに一躍買ったのが、ハリウッド映画です。
すなわち、ソフトパワーというのは、ソフトそのものではなく、その背景にある普遍的な価値観であるということがわかります。
それでは日本のソフトパワーとはなにか
それでは、「日本のアニメ、マンガ、ファッション等」の何がソフトパワーなのでしょうか?
日本の文化資産がソフトパワーを持つは確かですが、その背景にある他国の共感を獲得しているグローバルかつ普遍的な価値観とは何なのでしょうか?
それは、著書「東京ユートピア」の中で寺田悠馬氏も述べているように、「魅力的な文化を生み出した日本社会の根底にある、物事に対する妥協なきこだわり」だと思われます。そして、その「価値観を、諸外国の人々にも望ましいと思わせるのに成功して初めて日本は「ソフトパワー」を手に入れることができる」のです。
居住者の半分が外国人であるされるニューヨークで折り紙スタジオを運営し、実際、肌身で感じるのは、アメリカをはじめとして世界の人々が共感する日本の価値観というものは、日本文化そのものというよりも、日本人であればだれでも備えている特異的な「感性」であるのだということです。
着物にしても、日本人が着ているのを見るとピシッとしてて明らかに違うことがわかります。これは外国人から見てもそのように感じるようです。
果たしてコスプレ等のポップカルチャーは日本の価値観を伝えるものといえるのか?
日本人のこだわりは、共感するに値する価値観であることは明らかですが、タローズおりがみスタジオが参加したフィラデルフィア桜祭りやブルックリン桜祭りで見た、アメリカ人たちが共感している日本のコスプレカルチャーは、私たちが本当に共感してほしいものなのでしょうか?
彼らが共感しているのは、我々が持っているものではない、少し曲がったものであることは明らかです。
また、桜祭りなどで主催者側が提供している太鼓や着物ショー、書初め等というものも、我々日本人にとって実際にはなじみの薄いものであり、むしろ外国人の嗜好に迎合した受身的な日本文化だといえます。
ソフトパワーは外国でのイメージに迎合するべきものではない
これに対してタローズおりがみスタジオが伝えようとしているのは「折り紙」そのもの価値観ではない、その背景にある日本人のスゴサであると思っています。
我々が伝えたい価値観を、正しく伝えていくためには、外国人が間違って共感しているコスプレなどを見て、それにすり寄っていくのではなく、日本人自身が自信をもって積極的に発信していかなければならないと思うわけです。
これから日本は何をしていかなければならないのか?
KIMONOが、アメリカではすでに下着を含むガウンやローブとして一般的に使われている用語であり、さらに今回のキム・カーダシアン氏の事案でさらにそのことが広く知られる状況となっている今、日本はこれからどんな手を打って行くべきなのでしょうか?
私見で恐縮ですが、日本政府は、うち向けには「日本スゴイ」キャンペーンをしていますが、海外では、少なくとも私の住むアメリカでは全くと言っていいほど活動していないというのが私の印象です。
確かにときどきグランドセントラル駅等でポップアップのイベントをやっているのを見かけますが、本当に一回こっきりであり、継続性がない、自己満足的なイベントであると思います。政府の補助金を使ったイベントであるため仕方がないのかもしれませんが、そのようなイベントほどアメリカ国内ではメディア等でも全く取り扱われていないにもかかわらず日本国内向けのニュースでは大々的に報じられている印象があります。
これからの政府の戦略に期待する次第です(実は期待してませんが)。